第一話 「錬金術師と魔女」 side:Feet







 ずるずると重たいブーツを引きずって、いかにも行きたくありませんという雰囲気を全面に押し出す小男が一人。歩くたびに、男の羽織っているくたびれたコートの内側からガラス同士が擦れるような音がした。


「突然の呼び出しなんて、何事だろう」


 寝不足からくる気だるさよりも、所属しているギルドの長から直接呼び出されたことによる不安が勝っている様子で、小男は横を歩く女に視線をやった。

 女はと言えば、小男に向かって自業自得だと囁いてから口の端を持ち上げていた。

 リベストラ王国の中心部に位置する王都ルフェクトにある冒険者ギルド支部の一つ、世にも珍しきエルフ族がマスターを務める場所ともあれば、小男の面持ちも分からなくはない。あなたが言いたいことは理解しているつもりよ、と言葉無く視線だけを向ける女に、小男はゆっくりと瞬きで応えた。

 そんなやり取りの後、女は手のひらを返すように言った。


「とうとうクビになるのかしら」


 ねぇフィート、と女は小男の名を呼ぶ。

 自分より幾分も背の高い女の顔を絶望の表情で見上げて、フィートは消え入りそうな声で言った。


「不吉なこと言わないでよ……」


 フィートは嫌な想像をして頭を振った。それから咳払いした時、隣の女からふわりと漂う花の香りに再び顔を上げた。


 夕日が沈む空のような鮮烈な赤色が視界を覆う。

 どうにも彼女の髪色は目立つ。


 女は一度だけ髪の毛を染めたいと言ったことがある。ギルドを出入りする時に目立つのが嫌だとか、妙な輩に絡まれる原因にもなるだとかうだうだ言っていたが、フィートはそれを良しとしなかった。良い意味で言わば、フィートは彼女のトレードマークはそれであると思っていたからだ。

 悪い意味で言わば目立つ髪色というだけだが、親から受け継いだらしい個性を失ったが最後、不敵に笑う彼女が嘘のように崩れて消えてしまいそうだったからだ。

 お世辞を抜きにしても見目麗しい彼女からクビになるのかしらとからかわれると、冗談にしたってドキリとしてしまう。

 ほんの一瞬で多くの事を考えたフィートだが、すっと背筋を伸ばしてから、頭にのせた野暮ったい真鍮製の錬金用ゴーグルの位置をなおして言った。


「ともかく、話を聞いてみようか」


 王都ルフェクト冒険者ギルド第三支部。三階建ての最上階最奥。

 普段なら冒険者が立ち入ることは出来ない場所の、長い長い廊下の突き当りにある重厚な木製扉の前までやってきた二人組。

 フィートはおずおずとノックしようとし、手を引っ込めた。

 ギルドマスターに小言を言われる覚えがあるらしい様子なのを横目に、女はフィートの肩を押しのけてノックした。


「ぁ、アレッサ……!」

「シャキッとなさい」


 アレッサ――名を呼ばれた女はしかめっ面でフィートの背をぱんと叩いた。

 それから、フィートは諦めの滲んだ表情で言う。


「どうもー。錬金術師フィート、召集に応じ参上しました」


 軽い口調は扉の向こうにいるであろうギルドマスターにしてみれば、間抜け面を晒しているに違いないと確信させるに至るもの。しかして実態は――


「お腹痛くなってきた」


――今にも蹲ってしまいそうなほど緊張していたのだった。

 はぁ、と溜息を一つ漏らしたアレッサは、フィートとは打って変わって口調も表情もリラックスしたものである。


「アレッサ・ウェルデンもここに」


 名乗ってしばしの沈黙。二人は顔を見合わせた。


「あれ? いないのかな」


 フィートがそう呟く。

 扉の向こうから応答はなく、かわりに、慌てているようなくぐもった物音が聞こえてきた。ばさばさとした紙束の音。ペンが転がるような音。それも一つや二つじゃない、ペン立てでもひっくり返したみたいな騒音だった。

 ギルドマスターと面識が無いわけではないフィートは、長命のエルフらしからぬ――もちろんこれはフィートの偏見だが――慌てっぷりに緊張が少しばかり溶けた。

 王都のみならず、リベストラ王国全体で見てもエルフと言えば彼女くらいしかいない。そんなギルドマスターは方々に引っ張りだこで、常々忙しい人でもある。立場もさることながら彼女は差配が上手い。無論のこと、采配も同じく。

 彼女が忙しくすることは冒険者ギルド、ひいては王国にとって当然たることで、ギルドマスターの名を知らぬ者が殆どなくらいには【第三支部のギルドマスター】という概念の体現者である。国の上役とて彼女の言葉を無視出来ないくらいリベストラに多大なる貢献をしているわけだ。

 数秒、いや数十秒か。やっとのことで「少し待て、すぐに開ける!」と凛とした声が飛んできた。

 ぼんやりした表情で、フィートはしみじみと言った。


「相変わらずお忙しそうで……」

「ギルドマスターだもの」


 合いの手を入れるアレッサの声もまた、しみじみとしたものだった。

 どうしてそんな彼女が私達を呼んだのだろう? 言葉なきアレッサの視線に、フィートは首を傾げるばかり。

 面識が無いわけではない。しかし自分たちは一介の冒険者で、さして有名なわけでもなければ、国の臣下などと呼ばれるAランクやBランクの凄腕というわけでもない。召集される理由などあるだろうか?

 それからまたしばらくして、木製扉がぐわんと音を立てる勢いで開かれた。

 朝露を宿した長い白髪を乱した姿で、エルフ族の特徴的な長い耳の先を赤くして出てきたギルドマスターは、二人を部屋へ招き入れた。


「すまない、待たせたな」


 室内は、先程の雑音がどこから鳴っていたのか分からないくらいに綺麗に整えられていた。

 フィートもアレッサも、ギルドマスターの執務室に入ったのは指折り数えるくらいのもので、その時の記憶と変わりないものである。整理整頓された本棚も、棚に飾られた用途不明の魔道具らしきいくつかのものも。

 ギルドマスターに座るよう促されるままに、来客用の質の良い三人掛けの革張りのソファへ腰掛けるフィート。その横にすっと腰を下ろすアレッサは、続けて座ったギルドマスターの顔色を窺っていた。


「近頃は依頼も増えていてな。国庫は潤っているのだろうが、こうも忙しいと呼び出したのに対応が後手に回ってしまう、許してくれ」


 女性エルフ――見目麗しいギルドマスターと自身の隣に座るアレッサ。男は自分だけという状況になれば誰しもが下心は無いにしろ高揚するものだろう。しかしフィートは緊張の面持ちを崩せずへつらっていた。


「いえいえ、問題ありません」


 アレッサにへつらう素振りはないものの、相手を気遣った丁寧な言葉を紡いだ。


「ギルドマスターからお声がけいただいたんですもの。いくらでも待ちますわ」


 その言葉にギルドマスターは微笑んだ。


「そう言ってもらえると助かる」


 何か飲むか? という問いかけにフィートは首を横に振ったが、アレッサは遠慮なく「ブラックティーを」と言い、数分ほどは、調子はどうか、規定数の依頼は出来ているかといった雑談をしていた。

 規定数の依頼、という単語がギルドマスターの口から出てきた瞬間、フィートはあからさまに視線を下に落としていたのだが、アレッサとギルドマスターは気づいていない様子である。

 それから、アレッサが出されたブラックティーを半分くらい飲んだところでギルドマスターが本題を切り出した。


「さて、今回二人を呼んだ理由だが、ちと面倒なことが起こっているようでな」

「面倒なことですか?」


 話が逸れたと分かると途端に声のトーンが上がるあたり、本当に小言を警戒していたのだろう。フィートのあからさまな態度にアレッサは二人に聞こえないほどの溜息を吐いた。


「どうにも、ここから離れた土地ではあるんだが……モンスターの様子がおかしいという報告がギルドにあがっているんだ」

「様子がおかしいって……」


 モンスターは本能のままに生きるもの。様子がおかしいとはまた随分な話だとアレッサは訝しむ。

 フィートは「モンスターは元々様子がおかしいものでしょう」と言ってみせた。


「二人が疑問に思うのはもっともだ。だが実際にモンスターの凶暴化が我がギルド職員によって観測された」

「あらあら……」


 モンスターが凶暴化しているとなれば、リベストラ王国の国境付近に住まう者や、そこにある冒険者ギルドは警戒するだろう。だがここは王都ルフェクト。王都の外れにある森でさえ人の手によって整えられた安全な生活圏である。

 王国に属せずスラムと化した国境付近でモンスターが凶暴化しようが、ただの冒険者たるフィートやアレッサには殆ど関係ないといって差し支えない。強いて言わば依頼で国境付近のモンスターを掃討して来いとあれば、凶暴化に対して一握り程度の興味は湧いたかもしれない。もしかしたらその依頼だろうか、とフィートは考えた。

 だがアレッサの考えは少し違ったようで、小綺麗な装飾の施されたティーカップを揺らしながら視線を向けて言った。


「ですがギルドマスター、それだけを理由に私達を呼び出した、なんてこと……ありませんわよね?」


 丁寧ながらも鋭いアレッサの視線がギルドマスターの視線をかち合う。

 数瞬の沈黙から、ギルドマスターが不敵に笑った。


「アレッサ、君の察しの良さには敵わないね。モンスターの生態調査だけなら、確かに君らを呼んではいなかっただろう。名目上はモンスターの調査だが……まぁ、有り体に言えば君たち二人にある一定の地域の安全を確保して欲しいのだ」


 ギルドマスターの言葉を聞きながら徐々に顔色を悪くしていったフィートが、更に話を続けるのを遮らんと声を上げかけたが、アレッサの言葉に覆われてしまう。


「いや、あの……」

「安全の確保と言いますと、その土地に一定期間でも良いから住め、と」

「そうだ。何なら、金銭的な報酬とは別に、その土地に関する一切の権利を譲渡してもいい。もちろん、継続的な調査と引き換えだが」


 これ以上はダメだ、とフィートはとうとう言葉を正面から払い除けた。


「ありがたいお話ですが、お断りさせていただきま――」

「引き受けますわ」


 え? と呆けた声が漏れるフィート。

 アレッサはフィートに顔さえ向けず、ギルドマスターを見据えたままだった。


「いや、アレッサ、ちょっと……」


 これは確実に【ランク持ち】に対する依頼だ。故にフィートはどうしても断りたかった。

 面倒だからとか、報酬金も判明していないのにとか断る理由は多くあったが――もっともらしいことを言えば、ランク持ちに対する依頼には違いないだろうに、関係者がそこに居ないのが一番にあげられるだろう。

 ランク持ちへの依頼ともなれば、ギルドへの委託金はかなりの額になる。依頼者か関係者が同席して冒険者を見極めるのが通例なのに、後から来る話もなければ気配もない。そこから考えられるのは、依頼者が冒険者ギルドであること。


 ランク持ちへの依頼は往々にして国家からの要請か、貴族からの要請である。

 金払いはいいだろう。時折、金払いも悪く依頼内容も最悪……といったものがあるが、それはさておき。モンスターの生態調査はランク持ちに要請するようなものではない。

 モンスターについて多少の知識があり、かつ替えの利く冒険者が安牌だ。

 具体例をあげれば、斥候(スカウト)や観測手(スポッター)が適任である。

 百歩譲って知識のある錬金術師かつランク持ちであるフィートが選定されるにしろ、相応の理由が存在するはずだが、彼にそれを問う勇気は無かった。

 ましてや土地の権利を譲るとまで言う始末。裏を返せば、その土地は国が管理を放棄した土地であると言っているようなものだ。


 フィートがそこまで考えて口をつぐむのを予想していたのだろう。

 ギルドマスターはしたり顔で言葉を続けた。


「いやはや助かった! 君らならば受けてくれるだろうと信じていたよ」

「いや、ですから……」


 食い下がるフィートに、ギルドマスターは光をたたえるガラス玉と見紛う瞳を向ける。


「それはそうとフィート君。ギルドに登録して、どれくらい経つかね?」

「えっと……」

「魔女アレッサと協力して様々な研究を続けていると聞くが、アレッサからは確かに多くの研究結果を受け取った。ところで、君はどうだろうか?」

「あっ、いや、そのぉ……」

「いやなに、君を責めているわけではないのだがね?」

「はいぃ……」


 皮肉たっぷりに微笑まれてしまうと、フィートはしぼんだ風船となる。

 何を隠そう、彼は錬金術の研究を続けるも中々思うような結果が得られず、研究結果の提出はおろか経過報告さえ出来ていないのだった。

 依頼の一つでもこなして研究を先延ばしにしていれば、こうはならなかったのだろうか。

 たらればを考えても仕方がないことで、フィートはギルドマスターの言葉に頷くしかなかった。


「で、受けてくれるかね?」

「よ、喜んでぇ……」

「それはよかった! では、職員から調査のための拠点への地図を受け取ってきてくれたまえ」

「ウィッス……」

「頼んだぞ錬金術師、君の手腕に期待している」

「あ、はい……」


 釘を刺すが如く錬金術師と呼ばれたフィートは、罪を犯したわけでもないのに観念した罪人みたいな顔で重々しく立ち上がり、来た時より何倍も重厚に感じられる扉に向かって歩く。そして一度だけ振り返ってアレッサを見てから「……あの食堂で」と言った。


「詳しく聞いてから、すぐに向かうわ」


 アレッサの返事を受けて頷くと、扉は重厚な見た目に反して、かちゃんと静かに閉じられた。



* * *



 あーあー! 呼び出された時から予想してたけどさー!

 絶対に面倒なやつだなって思ってたけどさー! あーあーあー!


「……んんっ」


 通りすがったギルド職員に怪訝そうに見られた僕は咳払いを一つして会釈。

 頭の中ではこれでもかと駄々をこねた。現実ではこねてないので許して欲しい。

 誰に許しを乞うているのかは知らないけどさ。


 ギルド会館の階段をとぼとぼと降りて向かうのは一階の受付窓口。

 二階にあるのは委託窓口なので自分とは縁が無い場所である。通りすがっただけで漂う高級品であろう紅茶の香りや茶菓子の匂いがするあたり、今日もまたいけ好かない貴族がしょうもない依頼を出しにきているのだろう……なーんて胸中で八つ当たり。

 この間なんて「うちのペットがいなくなったから探してほしい」とかいう依頼がランク持ち用に出されたくらいだ。しかもそういった面倒だが断れない依頼は大体が僕に振り分けられる。


 リベストラ王国、王都ルフェクト冒険者ギルド第三支部所属冒険者。

 登録職業、錬金術師。

 氏名、フィート・ウェルデン。

 一般市民から貴族にまで分け隔てなく依頼を押し付けられ、錬金術の研究資金のためにと必死に働いた結果――晴れて正式にCランク冒険者となる。


 懐が寒々しいこともなくなった。ランク持ちにもなった。

 これでやっとこさ研究に戻れるぞと相棒のアレッサと祝った矢先の呼び出しだった。


 なーにがモンスターの生態調査じゃい! そんなのスカウトにさせろ!

 と、言えればどれだけ楽なことか……。


 まだ錬金術ギルドの引き抜きの話だったりの方が名目つけて断りやすかったのに、あろうことかギルドからの指名依頼とは。なんだいなんだい……そうやって弱小冒険者をいじめて楽しいのかよ……。

 とは言え、ある戦争で故郷を失ってしまった幼い頃を思えば楽なものである。

 貧乏な自分を引き取って王都に住まわせてくれた伯父に迷惑をかけないようにと、規定年齢を迎えてからすぐに冒険者になった。

 のべつまくなしに依頼をこなし続け、自分が何者かだなんて青臭くしょうもないことを考えながら生き、その【何者】とやらにすがって今は亡き母を真似て錬金術の勉強を始め……なのに、それがどうしてこうなった。


 錬金術師はどっちかってーと事務方だろうが! ちきしょうがよォッ!


 こうして僕が嘆いてるのには理由があった。

 モンスターの生態調査依頼――これは被害妄想でも何でもなく、ギルドからの査定、あるいは脚切りの代名詞たる依頼なのだ。


 人族、獣人族、亜人族、全てをひっくるめて人類とするが、その人類は既に多くの土地を支配している。四方無限に広がるとされる世界で途方もない支配権を握る人類がモンスターの生態を知らぬわけがないのだ。凶暴化だって過去に幾度も起きているし、原因だっていくつも思い浮かぶ。繁殖期とか病気の蔓延とかね。

 しかしながら、あのギルドマスターは原因不明とも口にせず、ただ「面倒なことが起こっている」とだけ言った。さらには土地に定住して継続的な調査を続けろとも。


 ここまできて分からいでか。要するに王国から遠く離れた地に行って、そこでモンスターの調査でもしてギルドにさらに貢献しろと、そういうことである。

 じゃあ、自分らが国から追い出されるような要因は無いか? と問われたら、悲しくもいくつか思い当たる節があるために、やるせない気持ちになってしまう。

 具体的には、まず――僕が【錬金術師】としての功績をあげていないことだろう。


 僕の母は錬金術師で、父は鍛冶師だった。


 幼い頃から技術に触れる機会の多かった僕が興味を持つのは至極当然のことで、母に似てか幸いにも知識の吸収は良かった。小さい子は物覚えがいいとも言うし、それもあったのかもしれない。

 かつての魔王戦争で故郷を失って久しく、錬金術師として冒険者登録をした僕は知識を武器に戦う……といった事は出来ず、まあ、冒険者らしい生活を送った。

 しなびた薬草を二束三文でギルドに買い取ってもらったり、時には大手のクラン――同職業の冒険者が作る組織――の小間使いだってこなした。

 そうして貯めた金を錬金道具で散財し、さぁ研究だ! というところですぐに資金難に陥って振り出しに戻る……研究結果もあったもんじゃない。だって研究出来てねえもん。

 とかく錬金術は金がかかる。道具の他に、研究用の触媒やら素材やら。

 錬金って名前も皮肉に聞こえてくるわこんなの。

 お陰で錬金道具だけは潤沢にある。問題はその道具を保管している宿屋の代金が常にギリギリの支払いになっているくらいだ。そうだね、大問題だね。ごめんて。


 もう一つの理由は……あまりこういうのは考えたくないが、アレッサ、だろう。


 魔王戦争――数百年も前から不定期に起こるモンスターの氾濫を指し、人々はそう呼ぶのだが、今でこそ完全に終結したとされるモンスターと人類の大戦争は、本来なら【魔女】と呼ばれる存在が解決するはずだったという。

 お伽噺とされるが、魔女とやらは人類とは切っても切れない関係がある。いわゆる宗教的な救い手とされるものだが、何故そんな存在が国から追い出されかねない要因になるのか。


――魔女は大昔から続く魔王戦争から逃げ出したらしいのだ。もちろん、僕は愚かな錬金術師ではないので真偽を断言することはないが、人類を見捨てて逃げ出した魔女という存在を揶揄して、人々は魔法を使う女性を軽視、もしくは蔑視する傾向にある。


 この世界の根幹を成す【世界樹】の守り手であった魔女は、魔王の出現と同時に逃げ出して人類は窮地に陥ったとされている。そんな人類の中から魔女に代わる救世主、勇者が現れた。

 勇者は世界樹を食らう魔王を退け、人類に安寧をもたらした……と。


 よくあるお伽噺で、味方が敵になる安っぽいストーリーだとか食堂でぼやいてたら神と勇者を信仰する神官が偶然にもいたらしく、えらく憤慨された記憶がある。

 世界樹なんかも現存してるという噂くらいのものじゃないかと言い返したら、水をひっかけられたっけ。


 そんな僕の相棒は女性の魔法使いである。そして自身を魔女であると言う。


 これだけで説明には十分だろう。流石に普段から魔女だなんだと喧伝しているわけではないし、ギルドへの登録も魔法使いとしているけれど……どこかから聞きつけた国の人間が密告したという線は考えられる。

 だからと言って彼女を見捨てる気など一切無いが。


「すみませーん、今さっき――」


 考え事をしているうちに一階まで戻ってきていた僕は、熱を持ち始めた頭を落ち着かせようと額を撫でながら受付に向かって声を掛けた。

 時刻は昼を過ぎた頃。朝から依頼に出ていた冒険者の幾人かが昼食のためにギルドに併設された食堂へと流れ込んでおり、受付窓口はがらんとしたものだった。

 休憩のタイミングだったのか、よく知る顔の受付係の男がひらひらと手を振っていた。


「あぁ、フィート! こっちこっち!」


 人懐っこい笑みを浮かべている彼の名はフレッド・ブライ。

 彼の手には紙切れがあり、一目でそれが地図だと分かった。ギルドマスターから言いつけられていたのか、どうやら既に準備済みだったらしい。

 僕が受付へ歩んでいくと、半笑いで窓口から出てきたフレッドが白髪交じりの頭を撫でつけながら言った。


「君も大出世だなぁ、マスターから直々の指名とはよ」

「声が大きいって! 面倒事が増えたら困るんだから!」

「なんだよ大物冒険者。有名税は払えないってか?」

「君の頭にはスポンジでも詰まってるみたいだね」

「ははは、悪い悪い、冗談だ」


 僕より一回り以上も年上の彼だが、こうして軽口を叩いてくれるだけで少し気分が軽くなった気がする。気取った冒険者の中には勘違いでもしているのか馴れ馴れしくするなと言う奴もいるみたいだ。僕にとってはありがたい態度だけどなあ。

 害をなすわけでもなし、フレンドリーなのが一番である。


「中継拠点まではかなりの距離になる。王都郊外から馬車で移動するにしろ、そこから転送魔法で移動するにしろ途中で海に出るのは免れないぞ」

「海……はぁ、海かぁ……」


 どうせならアレッサと海水浴でもしたかったよ……。


「酔い止めは忘れずにな。あと、物資は中継拠点のものを使って良いとさ」

「ギルドマスターも太っ腹だね。最後の手向けってやつかな……」

「なーんでそんな落ち込んでんだよ」


 落ち込むなという方が無理な話だ。モンスターの生態調査だぞ。

 国外追放と何が違うんだよ言ってみろオラァッ!


「国外追放とでも思ってるんだろうが、本当に生態調査だよ」

「僕の思考を読まないでもらいたい」

「顔に出てんだよ」

「あ、そう?」


 フレッドは僕に近づいてくるなり、無遠慮に肩を組んで僕をぐっと引き寄せた。

 背の低い僕は彼に覆われ、頭上から声が降ってくる。


「真面目な話、本当の生態調査だ」

「本当の……って……」


 彼は僕を連れてさっきまで自分が座っていた窓口まで来ると、さらに声を潜めて言った。


「お前マスターから聞いたんだろ、うちの職員が観測したモンスターの話」

「凶暴化を観測したってのは聞いたけど……」


 通常、ギルド職員に課せられる守秘義務違反への罰則は相当に重たい。

 フレッドがこれから話すことは守秘義務に反することでは無いのだろうが、声を潜められては嫌でも構えてしまう。ほら、内緒話とか身構えるじゃん。


「アンデッドの中に突然変異した奴がいたらしい。詳しくは後で渡す資料に載ってるんだろうが、俺は見てねえ」

「じゃあそれ見れば――」

「バッカ、お前、情報があれば困らんだろうが」


 あぁ、フレッドはギルド職員の間で流れてる噂と擦り合わせろと言いたいのか。

 彼との付き合いは冒険者になりたての頃からだから随分と長いが、こんなに気にかけてもらえるなら悪くない。

 僕は浅く頷いてみせた。


「通常種とは比べ物にならないくらい肥大化してたんだと。スケルトンなんかデケえ奴がいたって話だ」

「……スケルトンがどうして大きくなるんだよ」

「知らねえよ! それを調査すんのがお前だろうが」


 あぁはい、そうでしたね。

 しかし妙な話だ。アンデッドの中でもゾンビとスケルトンは種別として近く分類される。

 ゾンビが長期間の徘徊を経て肉がこそげ落ちた姿がスケルトンであり、スケルトン単体で見るならば地下などで肉体が分解された後にモンスターとして覚醒したものが殆どだ。

 腐っていても筋肉が残っている分ゾンビの方が厄介で、スケルトンはモンスター化した際に関節部が自然発生した魔力でかろうじて接合されているだけなので衝撃に極めて弱い。

 その代わりに繊細な動きを可能とするために武器を使ってくるのだが、ゾンビとの違いはその程度。肥大化なんて理屈が理解出来ない。元々大柄な――例えば、獣人の骨とかなら話は分かるのだけど。


「原型が獣人とかじゃなく?」

「人だったってよ」

「もっと分かんないじゃん」

「だからそれを調査するんだろ」

「えー……」


 えー、じゃねえよ。そう言ったフレッドは、ぱっと僕から離れて地図を押し付けてきた。

 それから、地図とは別に個包装された飴を投げてよこした。


「気をつけて行ってこいよ」


 ……君はいつもそうだねえ。

 フレッドとの付き合いは、僕が冒険者登録をした十二歳の頃に遡る。

 生きるのに必死だった僕の心配をしてくれていたのは、伯父とこの人だけだった。

 どんな依頼に赴く時も、彼はポケットから飴を取り出して僕にくれたのだ。

 こうしたやり取りも何年になるのだか。


「……うん。行ってくる」

「相棒には?」

「いつもの食堂にいるって伝えてるよ。先に行ったって言っといて」

「わかった。土産でも期待してるからな」

「はいはい、あればね」


 そうして、僕は地図と優しさを片手にギルドを後にした。

錬金術師と魔女の旅路

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