錬金術師と魔女の始まり 第一話 視点:F
これは【錬金術師と魔女の旅路】の前日譚にあたる物語です。
広大たるリベストラ王国の領地のうち、開拓村に類する寒村がある。
名もなき村。強いて言わばその時々によって変わる代表者の名を冠するその場所は、良くも悪くも開拓村らしい場所だった。
田畑を広げるべく山々を切り拓き、ほど近い場所にある資源地で絶え間なく資源を得る。
昼間は炭鉱で働く男たちは出払い、農奴として働く女子供しか残っていない村は、そよそよとした風の音が吹き抜ける。
農奴と言えど王国から来た騎士や役人たちに不当な扱いを受け……といったことはなく、指折り数える程度あった諍いなどは、せいぜいが開拓の進捗が芳しくなかった時くらい。
山間部に位置する村においての開拓は現地におらねば分からぬほどに慎重を期す必要のあるものだ。天気に左右され、獣に左右され、まるで山そのものと戦っているかのような錯覚さえ覚えるとは、村の者の言である。
フィートは寒村に住まう子どもの一人で、村で使われる道具の一切を取り扱うウェルデン家の一人息子である彼は、同世代の子どもらの騒がしい声が聞こえてくる昼間よりも、疲労で皆が眠りに落ちて、見回りする男衆の話し声がどこか遠くから聞こえてくる真夜中が好きだった。
昼のうちに間に合わず夜に持ち越して作業場で仕事に徹するフィートの父、ローダン・ウェルデンの背を、見つからないように息を潜めている時間。
そうこうしているうちに、ざりざりと地を擦る特徴的な足音とともに帰って来る母、レクシー・ウェルデンがこっそりと作業場へやってきて、隠れていた自分をあっさりと見つけて優しい声で「ただいま」という時間。
仕事に没頭していた父に「寝てろって言ったろ」と頭を叩くでも撫でるでもない、微妙な手つきでガシガシと触る時間。
貧しかった。食事だって質素で、昼間の畑仕事では両腕が上がらなくなるまで働いていて、つらいつらいと嘆いていた。
それでも、フィートは何よりもその時間が大好きだった。その村が大好きだった。
「また騎士どもが様子見に来やがったよ」
「懲りないな……」
ローダンの言葉にレクシーは苦々しい顔をしたが、ローダンの背にくっついたフィートの顔をちらりと見やってから表情を和らげた。
その表情のままにローダンとレクシーの話は続いたが、幼いフィートに内容は分からなかった。
ただ、母は笑っていたし、父も真面目な顔こそしていたが、手持ち無沙汰にフィートの頭を撫でていたものだから、きっと大人同士の仕事の話なんだ、くらいにしか捉えられず。
「錬金術ギルドの方はどうだった」
「ダメだ。取り付く島もない。総代にだって話は伝わっているはずなんだが、そも戦争とあれば連盟は中立から動けない立場だからね……私の言葉が真実か否かは関係ないんだろう」
「んな無茶な話ねェだろ……曲がりなりにも国に取り立てられた冒険者だぞ!? 便宜を図れたぁ言わねえまでも、口利きの一つくらい――!」
「ローダン……声が大きいよ」
雷声に身を震わせたフィートに気づき、すぐに「わりぃな、仕事の話とあっちゃ熱くなっちまうんだよ父ちゃんは」と二カッと笑ったローダンは、未だ軽い我が子の細身を抱き上げて、どっかりと膝に座らせた。
それを機にレクシーも立ち話をやめ、作業場に転がった木製の椅子を片足でひょいと起こして座り込み、背負った大荷物を地面へ投げ出した。
しっかりとした作りの革製のカバンから、かららんとガラスの音がした。
「ローダン、これは前の戦争とは違う。モンスターを討伐してれば済む話でもない」
「……わかってる」
「私を連れ去った君なら、もっとクールに考えられる。そうだろう?」
「……」
黙り込むローダン。
モンスター、という一言が気がかりで、フィートは二人の間に口を挟んだ。
「モンスター、くるの?」
年相応に不安そうな目。不安に曲がった口元。
レクシーとローダンは顔を見合わせ、あっさりと首を横に振る。
「来ないよ。もしも来たとして、お父さんがあっという間に倒しちゃうだろうね」
「ったりめえだろ。それになフィート、母ちゃんはすっげえ冒険者なんだ、心配いらねえよ」
心強い言葉ながら、子どもにとっては無償の安心など不安定なもの。
ただ欲しい言葉は一つだけであり、フィートの両親たる二人はそれをよく理解していた。
「大丈夫、なんとかするさ」
「母さんも父さんもいる」
たったそれだけで、フィートはこっくりと首を振った。
「実家は」
話に戻ろう、とばかりにローダンが放った一言に、レクシーは途端に表情を曇らせた。
フィートの前では気丈に振る舞おうとしていたのが嘘のように。
レクシーはローダンの問いに答えず、窓から差す月明かりを見てから白々しい空元気な声をあげた。
「さぁフィート、良い子の君はもう眠る時間だ。とっくに過ぎているけれど……ま、多目に見ようじゃあないか」
「……んだな。フィート、先に寝てろ。今度こそな。朝飯に遅れんなよ」
膝に座るフィートをひょいと降ろし、ぱんと背を叩くローダン。
フィートはまだ話したいことがあるんだと後ろ髪をひかれながらよちよちと歩いていく。一度振り返ると、おやすみと帰ってきた。二度目に振り返ると、早く行けと笑顔が帰ってきた。三度目になると、二人はとうとう破顔したが……それでも、引き止めはしなかった。
翌朝。レクシーは居なかった。
ローダンは朝から煤けた顔を拭いながらドラ声で家へやってくる炭鉱夫たちに道具を投げ渡していた。
「新しいツルハシなんざ用意できねえんだから、せめてちったぁ丁寧に使え!」
「これ使ったのはロランの馬鹿野郎だろ、刃がおもっくそ欠けて研ぐだけじゃ間に合わねえから形状を変えたぞ! 次だれが使うか知らねえけど、また欠けさせたらてめえの鼻折られると思えよ!」
「坑道に出る奴らにはこっちを使え!」
殆ど怒声に近いローダンの様相。
昨夜とは打って変わって怯えた様子もないフィートは、作業場に転がる道具を次々と父に手渡していく。いつもの朝。
その日、農具を持って子どもらと共に家を出ようとしたフィートに背にかけられた言葉は、彼を色めき立たせた。
「フィート。今日はおじさん来るからよ。昼には仕事あがっちまえよ」
「え!? 本当!?」
おう、と笑ったローダンの顔を見て、嬉しさを表現しきれず農具を掲げていってきますとローダンに負けず劣らずの大声をあげ駆けていく。
昼を待たずして通常の数倍も仕事をこなして帰ってきたフィートを待っていたのは、レクシーの兄、ガレン・ウェルデンだった。
ガレンは泥だらけになって帰ってきたフィートを見て、レクシーによく似た柔和な笑顔を浮かべ、汚れるのもいとわずに真正面から抱きしめた。
「フィートー! 相変わらず泥だらけだなぁ!」
「おじさん! いつ来たの?」
「今だよ。今丁度。食事は済ませたかい?」
「まだー!」
「だと思った。今日は村の皆にも食べてもらえるよう、たくさん持ってきたからな」
「なに持ってきたの!?」
「肉も野菜も、たっぷり持ってきたぞ!」
「やったー!」
ガレンは王都で商業を営んでいる。
フィートが泥で汚してしまった服も、大荷物を引いてきた馬車も全てが質の良いものだ。
子どもらしい誇らしさと言おうか。村の子どもたちに様々なものを与えるガレンの存在はフィートの中でも特別なものだった。ガレンが来れば、自分の功績にあらずとも鼻高々な思いができたからだ。
騒がしい昼食になるも、年に数度ある小さなお祭りみたいなもの。
寒村の人々は喜び、一切の苦はない素朴な幸せがあった。
それから、ガレンは年に数度あるその中で、往々にしてフィートにこう言う。
「フィート、王都に顔出すか!」
「いいの!?」
「もちろんだとも。小綺麗にして、遊びに行こう」
決して断ってくれるな、という気迫を滲ませて父を振り返るフィート。
ローダンの表情は変わらず快活に見えたが、その声音の違いに気づけたのはきっとガレンだけだろう。
「行って来い。おじさんの言うことをしっかり聞くんだぞ」
「~~~~~! やったっ!!」
「ははは、許可が出たな」
それからまもなく、その日の仕事を夕方まできっかりやりきってから帰ってきたフィートだが、明日が出発と言われても興奮冷めやらぬ様子で眠れず、またもこっそりと作業場へ足を運んだ。
「――が、蹴られちまったらしい」
「あぁ、私もそう聞いた。父を問いただしたが、王国派は穏便に済ませる気はないらしい」
「クソッタレの貴族どもめ。担ぎ上げるだけじゃ満足できねえってか」
「そりゃ妹のことだからね。王国が騒ぎになるのも当然さ」
ふふん、と冗談めかして笑うガレンは、ガタのきた木製の椅子を前後に揺らして埃っぽいテーブルを指で撫でた。
ローダンはガシガシと頭をかき、ため息を吐く。
「そうじゃねえだろ兄貴。俺のせいだってんなら話はまとまってたはずだ」
「馬鹿だなローダン。もう君は既にステージ上にはいないのさ。演者は妹と、王国、それだけだ」
「……魔王は――」
「それを気にするほど賢しい者の集まりならば、王国は今頃、兵を再編成しているだろうね」
「……」
不穏当な言葉が飛び交う中、フィートは幼さから、自らの中にある楽しみが汚れてしまう気がして背を向けた。
朝になれば、どうせ元通りになるのだからと。
********
翌朝、フィートは例年の如くガレンに連れられ王都での少々の贅沢を楽しんだ。
普段ならば見ることもできない玩具で遊んでみたり、食べたことのない流行りの料理に舌鼓を打ったり、なんてことはない本屋に行って知識人になったフリをしてみたり。
寒村から王都は馬車で二日。相当な長旅だったが、野営もなんのその。
帰りは満足感やら充足感やらで胸をいっぱいにして、村の仲間にどんな話をしてやろうかとニヤニヤ考えるほどだった。
ガレンについて周り、帰りの馬車を、といった矢先のことだった。
これが全てを狂わせた。これが幸福という幸福を奪い去った。
「魔王が出たらしい」
半狂乱になった誰かが大通りで叫んでいた。
何度も転びながら走り回っていた新聞屋の少年が号外だとばらまいた紙切れを空中で引っ掴んだガレンは、顔を真っ青にしてフィートの手首に跡が残るくらい強く引っ張った。
「帰るぞフィート!!」
二日もかけてやってきた王都から寒村に戻るのは、早馬をひっぱたき半日となった。
農奴として生きてきたフィートは馬の揺れにやられることはなかったものの、それどころではないと身を縮こまらせてガレンに問う。
だんだんと村が近づいてきている。
「おじさん……魔王って……王都で、誰かが」
「……っ」
ガレンから言葉は返らず。
村の近場の森から、煙があがっていた。
「まだ畑を焼く時期じゃないよね……ねぇ、おじさ――」
「黙ってろ!!」
「ひっ……」
森が拓けた先には、柵は無かった。
田畑の残骸はあった。
転がる焼け焦げた塊や、ぶすぶすと音を立てて蠢く何かがあった。
「遅かったか……――!」
「お、おじ、おじさん、こ、これ……ねぇ、なんで……おじさん……!」
「フィート、家に行け!! 誰でもいいから生きてる奴を探せ!!」
落馬の如き勢いで転がり落ち、走り出すフィート。
喉が裂けるほどに大声で呼んだ。父を。母を。そこにいた住民という形の幸福を。
無論、様相を見れば顔を伏せることこそが正解であったろう。
誰もいない。誰もだ。一人として。
「父、さ……」
作業場にも、寝床にも。
ただ誰かがいた、という形跡だけを残して。
「ぅ、うぁ……っ」
フィートはその場で膝を折り、王都での思い出を全て吐き散らした。
ガレンがやって来て「ローダンは!?」と作業場とフィートを見て、全てを察したようにして立ち尽くす。
「嘘、だろう……こんなもの……」
しばらく。
フィートはじっと作業場の椅子に縋り付いた。
まだ残っているとも知れぬ両親のぬくもりを探すように。
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